DRY LAYERING ドライを重ねる 5レイヤリング

豪雪地帯・木島平の少年少女にとってクロスカントリースキーは、生活の一部といっても過言ではありません。ジュニアのころからみっちり仕込まれて、小学1年生からレースに出場します。必死でスキーを走らせる子供たち、レースを切り盛りする“元少年少女”の大人たち。連載3回目は、山田琢也のルーツ「ジュニアクロカンに思うこと」です。(finetrack編集者)

木島平の小学生たちの冬の通学路は、自分の身長と同じくらいの雪壁の間に融雪用の水が流れる川のような道をジャブジャブと往復6km、累積標高200mの道のりです。さながらアドベンチャーレースのようななか、やっとの思いで学校に辿り着くと、体育ではクロスカントリースキーをさせられ、放課後にはスキー部の練習で鬼コーチにしごかれる。週末だって休んでいられません。雪解けまで、毎週のようにやってくるスキーレース参戦は、まるでワールドカップレーサーばりのハードスケジュールなんです。

先日、昔からやっている地元のスキー大会があり、近隣の小学生400名近くがレースに出場しました。鬼コーチに鬼おかんも加わって檄を飛ばすもんだから、そりゃ子供たちは訳もわからず必死で走ります。

私たちの世代も、保護者やコーチ、スタッフとして忙しく働きながら子供たちと朝から晩までコースにいるわけですが、これはこれで大変……。

レースは小学1年生からあります。

細くて軽いクロスカントリースキー。

ワックスマンを担う大人たち。テントの中でスタートギリギリまでワックスの調整をします。

配合は数千通り!ですが、木島平で育ったワックスマンは手慣れたもの。

クラシカル競技用の板には、雪をつかむための「グリップワックス」をワクシングします。

みんなで設営したテント内。
レースに出走中の子供たちが脱いだ、「KIJIMADAIRA」ジャンパーが並びます。

改めて思うと、子供時代には学校へ行くだけでも冒険のようなハードな環境で、大人になったらなったで豪雪地帯の田舎暮らしはめんどくさい事も多くて本当にしんどい。でも、雪、そしてたくさんの大人に育ててもらったことに心から感謝しているし、私たちを寒くて暗いところから救い出してくれたのはスキーでした。

親やコーチ、地元の方達が大変な思いをしてコースを作り、準備をして競技会を行う。そして子供たちは必死な思いでクロカンをする。そうして私たちは大人になり、そんな経験を共にした仲間は、やっぱり好きでここに帰ってくると思うのです。

(1986年、8歳。負けずぎらいなクロカン少年でした)

というわけで少年少女たちよ、とりあえず走れ!

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