最強の5レイヤリングとは

極西ネパール登山隊2017: 同志社大学体育会山岳部

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今年極西ネパールに聳える「道なき山」。未だ誰も頂を踏んだことがない未踏峰への初登頂を目指す、遠征レポートの第2弾です。カトマンズ~BC地点まで、事前の偵察行で開拓したアプローチルートを辿り、村から村へと進むキャラバンの旅。やはり、一筋縄ではいかないようで・・・

暑い。カーテン越しにも日差しが刺さる。
温度計を見ると、車内の温度は35℃を超えていた。

足元では誰のともわからない吐瀉物がバスの揺れに合わせてその縄張りを広げている。
隊員全員下痢を患っており、そのうちの一人はなぜかリンパ腺の痛みも訴えている。
「……」
しゃべる気力も出ない。
砂埃が激しい区間に入ったので窓を閉めると、体感温度が一気に上がった。バス内の糞と吐瀉物と汗の混ざった臭いが鼻を抜けていった。


<36時間耐久バス乗車>

ここはカトマンズから西の果てにあるキャラバン出発点へ向かうバスの中。連続36時間乗車に最初こそ少しわくわくしていたが、20時間を超えたあたりで真顔以外作れなくなった。

バスの終点からさらに車を乗り継いで2時間、そこで車両が通ることのできる道は終わる。
車両の移動が長かったせいで全身がバキバキに凝っている。しかし、ようやくキャラバン開始だと思うと気合が入った。ここから、ガイドの方、コックの方、ポーター(荷物持ち)の方々17人と遠征隊員4人の合計23人で8日間かけてBCまで歩く。


<キャラバンの始まり>

最初の4日間は村をつないで進んでいく。滅多に来ない外国人ということで、村の方々には非常に親切にしていただいた。学校に泊めさせて頂いたり、バレーボールに混ぜて頂いたり、村長が直々にご飯をご馳走して下さったこともあった。途中なぜかビーチサンダルで来ていた2人のポーターの方が足にけがをして帰って行ったが、概ね計画通りにキャラバンは進んでいった。

それにしても村の子供たちは本当にかわいい。隙間からテントを覗いてくるところなんかも愛おしいし、100円ショップのシャボン玉で大はしゃぎしてくれるところや、カメラを向けると逃げてしまうのも、ときめいてしまう。あのような無垢な子供たちを見ていると、何とか喜んでもらおうと子供に貢いでしまう大人の気持ちがよく理解できた。


<村の男の子たち>


<村の女の子たち>


<写真:ノミの検疫>

一方、体調面では、深刻なノミの被害により、寝れないほどの痒みに襲われていた。

ノミの被害には隊員全員遭っていたが、ある1名の隊員の被害は抜群に深刻で、毎晩深夜になってももぞもぞと寝苦しそうにしており、時々「くそっ」「んああ」などの悪態が聞こえていたたまれない気持ちになった。

深夜に全裸になってテントの外で服を払っているのも目撃したことがある。全身が赤い斑点でおおわれている状態になり、隊員の中では明らかに一番つらいキャラバンであった。
そして、その苦しみは登山期間中も続き、カトマンズに帰るまで続くこととなる。

残りの3日間は無人地帯となる。
このルートは5月に行った偵察行の際に発見したもので、不確定要素が多い。道がはっきりしない上、途中からはなくなる。最後の村で村人をガイドとして雇い、ポーターの方々の様子を見つつ、慎重にルートファインディングをして進んでいった。

ヒマラヤの山々に囲まれながら人がほとんど入っていない広大な地を自分の足で歩いていく。「おおお…」という感嘆の言葉がつい出てしまう。花と川と草と木と岩と青空。シンプルで、完成された世界だ。
心が酔っていくのを実感した。


<道なき道>

3日間かけて計画のBC地点まであと1日という所まで到達し、「あと一息」と思っていると、ガイドの方から呼び出された。

「この先、道危ないデス。ポータの人行きたくないと言ってマス」
「え?」

説得を試みたが、結局、この地点をBCとせざるを得ず、計画を見直すこととなった。


<BCにて集合写真>

BCより先は遠征隊4人で進む。斎藤のノミの被害を除けば隊員一同体調は万全だ。
コックの方のおいしいご飯が名残惜しかったが、ずっしり重いザックを背負い我々は山へと向かった。

極西ネパール登山隊2017
同志社大学体育会山岳部

創部92年の伝統を持つ。極西ネパールにおいて、1960年アピ(7,132m)初登頂、1963年サイパル(7,031m)初登頂と西ネパールの主峰ともいえる山々の初登頂に成功。また近年でも、西ネパールの地域において多くの足跡を残している。

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