DRY LAYERING ドライを重ねる 5レイヤリング

投稿者: 小谷部 明

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スタッフの遊び記録
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2018年5月、finetrackスタッフの小谷部明が「2018年北日本海外登山研究会 K2登山隊」の隊長として日本を出国します。
小谷部にとっては3回目となる今回のK2遠征。そこにかける想いを聞きました。(finetrack編集部)

8000m峰に挑戦したいと最初に思ったのは、山をはじめたばかりの学生時代です。でもそれは山を登る多くの人が持つであろう、あくまでも漠然とした憧れでした。
それが、具体的な目標へと変わったのは、社会人山岳会に所属してバリエーションルートの経験も積んだ20代のころ。山岳会に東北地区海外登山研究会より「チョモランマ2000」の遠征隊員募集の知らせが届いたことがきっかけでした。しかし当時、一般的な企業に勤めていた私にとって、数か月の休暇をもらうなんてことは相当な無理をお願いすること。だから8000m峰を目指すときは、会社を辞めるときでした。そうまでして目指すのなら、同じ8000m峰の中でも名前の響きと美しい山容、そして登頂の難しさから憧れが大きかったK2が良いな…と思いはじめたのです。

そんななか、北日本海外登山研究会(東北地区海外登山研究会が名称を変更)が「チョモランマ2000」のメンバーを中心に「2009年K2遠征隊」を結成。私は参加を即決し、会社を辞めてK2を目指しました。しかし残念ながら最終アタック直前のC4にて、天候急変予報のため撤退を強いられます。アタック直前での無念の撤退。それはまるで、自分の力量を試す直前に目標を取り上げられたかのような口惜しさでした。その時C4まで行動を共にした隊員のひとり、遠藤博隆氏と私は、「もう一度この地に戻ってこよう」と約束を交わしたのでした。

数年後、finetrackに転職し、会津を離れ神戸で暮らす私に、遠藤から栃木でK2遠征の計画が上がっているとの連絡が入りました。私は早速会社に相談して仕事の調整を付け、遠藤と共に遠征隊に入り、2013年に2度目のK2遠征へと向かいます。しかしこの遠征でも、またもやアタック手前のC2にて悪天により撤退。

C3まであと2ピッチほど。(栃木K2遠征隊2013より)

K2への想いを共にしてきた遠藤(手前)。(栃木K2遠征隊2013より)

こんなに短期間で2回もK2に挑戦できたことは、滅多に経験できない幸運です。しかし遠藤も私も、最終アタックができなかったという無念は晴れず…。もう一度二人でK2へ行こうと、2015年頃、1回目のK2遠征の母体となった北日本海外登山研究会に、事務局として遠征の主催を担ってもらうよう依頼。私が隊長となって「2018年北日本海外登山研究会 K2登山隊」を立ち上げたのでした。

しかし隊の結成後、遠藤に病気が発覚。
一時はそれでもサポート隊員としての同行を決意したものの2017年12月、志半ばに逝去いたしました。
だからこそ今回の遠征は、私をはじめ隊員たち全員が彼の意志を引継ぎ、一段と強い気持ちでK2の頂を目指しています。

今回の遠征隊員たちとは、2016年冬頃より打ち合わせや合同トレーニングを経て、信頼関係を築いてきました。合同トレーニングでは冬期の富士山での高所順化や八ヶ岳や蔵王での登攀訓練を行い、あとは各個人が日々のトレーニングで体力強化を図っています。

私自身はここ数年、右肩腱板断裂、右足半月板損傷、左鎖骨骨折…と故障が続いてしまい、怪我と付き合いながらのトレーニングとなりましたが、隊の結成から約3年、いよいよ目前に迫ってきたK2遠征に向けて、あとはできることをやり切るのみ。隊員一人ひとりの安全を最優先に、遠征を成し遂げたいと思います。

― 遠征概要 ―

隊の名称:2018年 北日本海外登山研究会 K2登山隊
主催:北日本海外登山研究会
目的:パキスタン K2(8,611m)南東稜からの登頂(極地法)
期間:2018年5月25日(金)~8月10日(金) 約3か月
隊の構成:隊長1名
隊員9名
ハイポーター(パキスタン人)3名
キッチンスタッフ(パキスタン人)3名
連絡官(パキスタン人)1名
計17名

普段はfinetrackの生産課長として実直に日々を過ごす小谷部明。5月末~8月まで長い休暇をとって、K2に向かいます。
fun to trackでは、この「3度目の挑戦」を追いかけ、準備から登頂までの様子を発信していきます。
いざK2へ! 応援よろしくお願いいたします!


K2を仰ぐ。BCからの出発(栃木K2遠征隊2013より)

3度目の挑戦 Vol.2 ~ 重責の中の一大イベント >

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