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洞窟探検家であり洞窟写真家である吉田勝次さん。気さくなキャラクターもあってテレビ番組にも多数出演する吉田さんは、約30年にわたる人類未踏の洞窟探検が高く評価され2024年植村直己冒険賞を受賞されました。今回は、そんな吉田さんのこれまでの洞窟探検について振り返りながら、トレードマークとも言える赤と青の“つなぎ”(ケイビングスーツ)の誕生秘話を伺いました。

 

目次

    1. 植村直己賞受賞に至った唯一無二の探検活動
    2. はじめての洞窟探検で着た“つなぎ”
    3. 「我慢が当たり前」なウエアの迷走時代
    4. 特注の“つなぎ”、ケイビングスーツのこだわりポイント
    5. 一番記憶に残る洞窟は16年かけて調査した穴
    6. リスクが高くても洞窟を探検する理由は「好き」という気持ち

 

植村直己賞受賞に至った唯一無二の探検活動

2024年の植村直己賞を受賞された吉田勝次さん。少年時代から洞窟が好きで、一人バスと電車を乗り継いで鍾乳洞などに出向いていたそうです。
そのころから、興味を持つのはライトアップされているいわゆる「見どころ」ではなく、順路が行き止まった場所のその先に続く、真っ暗な亀裂の奥。ライトで照らして覗き込んでみたりはしながら、怖くて踏み込めない。子供ながらに好奇心と恐怖心の拮抗を味わっていた自分を、吉田さんは「探検家になる資質みたいなものがあったんじゃないかな」と振り返りながら笑顔を見せてくれました。

約30年の洞窟探検を経て、植村直己賞を受賞されたときは何よりもまず驚いたそうですが、誰も行ったことのない場所を探し求め続けた自身の活動は、まさに植村直己賞の目的にもある「不撓不屈の精神によって未知の世界を切り拓く」行動。
その唯一無二なところが評価されての受賞となったそうです。

はじめての洞窟探検で着た “つなぎ”

――以前お寄せいただいたエッセイで、雑誌で知ったケイビングクラブに問い合わせたのが最初の洞窟探検だったと聞きました。

28歳のときでした。見開きで特集していた洞窟探検サークルの記事を見て、すぐに電話して「連れて行ってください」って頼んだんですよ。
そうしたらサークルの会長が「じゃあ、つなぎとヘルメット、ヘッドライトを持ってきてください」って。

当時 “つなぎ” って言われて思い浮かぶのは、よく自動車整備の人とかが着ているようなものだったんです。だから作業着屋さんで綿100%のつなぎを買って。ヘルメットはもともとやっていた登山用のものを使いましたが、ヘッドライトは四角い、単三電池を4つ入れるような重たいやつでしたね。


洞窟探検を始めたころの吉田さん

そうして行った洞窟は、入口がすっごく狭くって。今だったらそんなに狭いと思わないんですけど、当時はもうその入口で「うわあ」ってなるんですよね。
でも、サークルの先輩が「じゃあ行くよ」って言って、ぱーっとその隙間に入っていくんです。そしたらあっという間にその人の靴の裏側しか見えなくなる。圧倒されていると「はい来て」って言われて、慌てて突っ込みました。

でね、身のこなし方が分からないままとにかく体をねじ込んでいくと、ポンと4畳半くらいの小部屋に出たんです。狭いところを抜けたら、こんな部屋があるんだと関心している間に先輩はもう先にどんどん行ってしまって、またその人の足しか見えてない状態。次の狭いところに突っ込んで体をねじ込むと、また隣の部屋にポンと出て、その繰り返しです。

そのときは、はぐれてしまったらこの暗闇から生きて出てこれないのではないかと思って、先輩の後を追うのに必死で。すっごい緊張して体もカチコチだったんですけど、そうこうしている間に自分の頭が覚醒していくんですよ。

自分が進んだ分だけしか見えないことと、進む前まではその先がどんな場所かも想像できない、ということがそれまでに体験してきたいろんなアウトドアとは違っていて、すごいドキドキワクワクなんですよね。
これを一生やり続けたい! って強烈に感じました。


狭い場所に身体をねじ込む吉田さん。それにしても狭い!

「我慢が当たり前」なウエアの迷走時代

――最初の洞窟探検で、子供のころから好きだったものに改めて出会ったような感覚でしょうか?

そうですね。そうして何度か洞窟に連れて行ってもらううちに、先輩から「自分で洞窟を見つけるともっと楽しい」と教えてもらって、それからは一人で洞窟探しの活動をするようになりました。
誰かがすでに知っている洞窟に行くだけでこんなに感動するのに、自分の手で見つけた洞窟を探検するなんて、恐ろしいくらい感動するだろうなと思うと、もう居ても立っても居られなくなって。

ところが洞窟の入口を探すって、すっごく時間がかかる作業なんですよね。山頂と違って目指すところが目に見えていないから。
山の斜面をくまなく歩いて、ザーッとみる。山って面だけど、僕が探している穴は点。もう遭難者を探すために隅々までスクリーニングするようなもんです。それも一人で。
そのときには、若いころ長谷川恒男さんに教えてもらったバリエーション登山の技術や知識が役立ちました。


バリエーション登山をやっていたころの吉田さん。カッコいい!

でも、これまでの登山という概念と全く根底から違ったのは、これまではどこか山頂をゴールとして、そこに行ってから無事に下山するというのが成功なんだけど、洞窟探しというのは洞窟が見つからなかったから失敗というわけじゃないこと。

「ここには穴がない」っていうのがわかるから、ひたすら歩いて洞窟が見つからなくっても、それだけで自分にとって価値ある活動なんですよね。

――気の遠くなるようなお話ですね。どれくらいの時間をかけて最初の洞窟を見つけられたんですか?

笑っちゃうくらいに全然見つからなかったです。洞窟っていうのは定義上ではタテとヨコの幅よりも奥行があったら洞窟っていうんです。
例えば1メートル角の入り口の穴に2メートルの奥行があれば定義上は洞窟です。そんな小さな穴は五万とあるわけですけど、納得のいく洞窟はなかなか見つかりません。
結局自分が感動できるようなすごく大きな洞窟を見つけたのは探し始めてから10年後です。けっこうな忍耐力いるでしょ?

その後も数は発見しているけど、心がときめくような穴は滅多にないから、最近(5年くらい前から)は洞窟と潜水を組み合わせた探検に精力的に取り組んでますね。

――じゃあ潜水をするようになってからfinetrackウエアを着るようになったんでしょうか?

いや、その前からですね。洞窟を探すときは海や川を泳いだり、沢登り、キャニオニング、カヤックなど、とにかく水がらみのフィールドが多いんですよね。洞窟っていうのは地下の川だから、水がないエリアから入り込んでも、結局水があるところに行きつくんです。
だから最初はウェットスーツを着てました。でもそれだと陸での行動が蒸れて不快で、もうフリースで行動してそのまま水に突っ込むようになりました。そうすると今度は水で濡れた後が寒いんですよね。

いずれにしてもとにかく我慢。そんな中、知人に勧められてfinetrackのウエアを着るようになったんです。もうすっごく快適で、驚きでした。
※(fun to track編集部註)吉田さんの愛用するウエアについてはこちらでご紹介しています。


フラッドラッシュ®も着用いただいてます!

――そこからケイビングスーツの特注に至るわけですね。

そう、それまでは海外のケイビングスーツが体に合わないから、海外で見つけてきた生地を持ち込んで、地元の洋裁屋さんにつくってもらっていたのだけど、その生地に不安があって。すぐにボロボロになってしまうんですよね。
なんとか満足するケイビングスーツを手に入れないと探検がままならないと思って、僕の情熱をファイントラックにぶつけてみたんです。1着目ができたのが2018年だったかな?

特注の “つなぎ” 、ケイビングスーツのこだわりポイント

――finetrack代表の金山も、吉田さんの唯一無二な活動をモノ創りで応援したく、ケイビングスーツの開発に踏み切ったと言っていました。このケイビングスーツのこだわりポイントはどこでしょうか?

これまでマイナーチェンジを繰り返しながら何着も創ってもらっているけど、ケイビングスーツそのもののシルエットとか細かい仕様にこだわっているのは、実は僕よりもfinetrackさんの方なんですよね。丈夫な生地でありながらストレッチして、動きやすい。

そんな中、僕が「これだけは譲れない」って言うのは頑丈であることと、色が赤と青であることでした。

1つめの頑丈さについては、とにかく引きずりまわってウエアを擦りまくるというのが洞窟。これが山でのアクティビティとかと絶対的に違うとこなんですね。だからとにかく頑丈さが必要で、そのためには構造をシンプルにしなきゃダメなんです。
狭いところで無理やり体をねじ込むから、ポケットもベルクロも不必要に増やすと、当たって痛かったり、引っかかって壊れたりする。強度を補うために生地を二重構造にしたりすると、表側が破れたらそこに泥が溜まってしまったり。
だから機能は選りすぐってシンプルにしてもらってます。


泥だらけの狭いところで無理やり体をねじ込んだ結果……

だけど気に入ってる機能としては、吊りバンド(サスペンダー)。つなぎってセパレートの服と違って上着だけ脱ぐとかできないじゃないですか。だけどこれには上だけ脱いでもパンツ部分がずれないように、吊りバンドがついてるんです。そのおかげで体温調整ができてめっちゃ快適なんです。
その吊りバンドも必要な時だけ付けられる、取り外し可能なものだから邪魔にならないですね。

あとはズボンの裾が靴を履いたまま着脱できる幅になっているとこもお気に入りです。これは自分がずっと現地で実践してきて「あればいいな」っていう機能だったんですよね。仲間にも「いいなー」って言われます。


この日も次のケイビングスーツ制作に向けて開発担当のスタッフと打ち合わせがあった

――色についても言及されましたが、吉田さんのトレードマークの赤と青については、ぜひ伺いたいと思っていました。

そうですね、赤と青のこの色は僕の一番のこだわりです。この色にしている理由は3つあるんです。

まだ綿100%のつなぎを使っていたころ、はじめて海外でケイビングスーツを買う機会があって、そこで一番気に入ったのが赤と青のツートンカラーだったんです。色の波長として、水に当たるとほとんどかき消される赤と、水の中でも100メートルくらいまで届く青。その異質な色の組み合わせが面白いと思いました。それが最初のきっかけです。

その後、ケイビングスーツなんてすぐにボロボロになるから何着も作り変える必要が出るんですけど、その際も赤と青にしようと思った理由は、目立つから。
自分はいつ死ぬか分からない探検と向き合っている。だから遺体を見つけてもらいやすいように一生この色を着ていこうと思ったんです。

――そんな覚悟が詰まった色だったのですね。

そう。そして最後の理由は、セルフプロデュースです。
探検には旅費や装備代など、かなりの費用がかかります。だからそれを捻出するためには、洞窟探検というマイナーな活動を世の中に知ってもらうことが必要だし、そのうえで「洞窟探検といえば吉田勝次」って言ってもらえるくらい世間に認知してもらう必要があったんです。

だからまずは自分をプロデュースしよう。そのためにはまずは見た目の特徴だなって思って。ケイビングスーツもボートもカバンも、とにかく赤と青でいこうって決めました。

――確かに、吉田さんといえばこの赤と青のイメージがばっちり付いています。プロデュースという意味では大成功なのではないでしょうか?

まあそう言えるかなぁって感じですね。これが僕の「赤と青ものがたり」です。(笑)
そんな理由でfinetrackさんにも赤と青で作ってもらっているケイビングスーツだけど、強度とデザイン、機能性、すべて凝縮された、日本で最高峰の代物だと思います。
膝部分にパットを入れるなど、ちょっとした改良はやってもらう予定ですが、ベースの機能としてこれ以上のものを作るのはもう難しいんじゃないかな。


次の探検に向けた準備としてのケイビングスーツ改良。開発担当のスタッフたちも吉田さんの話に興味津々

一番記憶に残る洞窟は16年かけて調査した穴

――これまでで特に印象深かった洞窟探検ってどんなのでしょうか?

もちろん自分が初めて連れて行ってもらった穴が一番衝撃的です。でも、それ以外で言うとしたら、自分で洞窟を探すようになって10年目にようやく出会えた穴です。

そこがすごい洞窟で。洞窟探検って、他のアクティビティと違って「調査する」っていう工程が大事なんですよね。というのも、山と違って周囲から見えないから。例えば槍ヶ岳が未踏峰の山だったとして、登頂して写真を取れば槍ヶ岳に登ったことが証明できるでしょ。でも「すごい洞窟に行ってきました」っていうだけでは誰にも何も伝わらない。

誰も知らない世界を探検した、その成果を可視化するためにはまず地図がいるんです。だから、探検がある程度終わったら地図を作るために測量が始まるわけなんですよ。
それが狭くて劣悪な環境で、アナログでやっていくものだからすごく時間がかかるんです。どれくらいの洞窟なのかを発表できるようになったのは発見してから16年後のことでした。


こんな大きな洞窟、測量も一筋縄ではいかなさそう……

それだけ大きな穴を発見したことにも感動をもらったし、16年の間に装備もどんどん革新的なものが出てきて。LEDライトとかデジタルカメラとか。そんな装備の変化を感じながら調査した日々だからこそ、余計に印象に残ってますね。

――ちなみにそれはなんていう洞窟なんですか?

霧穴(キリアナ)です。日本にあるんですけど、場所は言えません。

リスクが高くても洞窟を探検する理由は「好き」という気持ち

――そういえば洞窟探検って「某所」として場所を公開しないことが多いですよね。

そう、そのせいで洞窟探検の世界は閉鎖的って言われることもあるんですが、その理由は人の命を守るためなんですよね。
やっぱりテレビなどを見て、興味を持って現地に行こうとする人もいるんですよね。でも、経験がない人が洞窟に入っちゃうと、死につながるリスクもすごく高いんです。

――それだけ危険な場所なんですね。

まず他のフィールドと違うのは、携帯電話が使えないことですね。
次に、救助に来てもらえないことです。仮に救助を呼べたとしても、ヘリも飛ばせない。仮に救助隊が現地に赴けたとしても、とてつもない時間がかかるだろうし、動けない人を搬送して狭いところを引きずり出すためにまたどれだけの時間がかかるんだって話です。

でね、意外に思われるだろうけど、腕や脚の骨折なんかよりも切り傷とかの外傷が一番危険です。止血が出来たとしても、ドロドロの水の中を泳いだり、泥がついたりしたら、傷口から感染症になる可能性がすごく高いんです。
山とかだったら数時間後には救急隊に引き渡せて、抗生物質を投与できて、命が助かる。けど、洞窟ではそうはいかない。抗生物質のない世界で、外傷はいとも簡単に人の命を奪うんです。怖いでしょ?

だから僕たちの探検の仕方ってすごく慎重で、登攀しているときも普通のクライミングと違って、絶対落ちない登り方しかしません。
そんな世界だから、僕らは入口を人に教えることを拒むんです。

――そんなリスクの高い洞窟に吉田さんが感じる魅力ってなんでしょうか?

それはやっぱり、人類にとって未知・未踏の地を自分が最初に見られるという強烈なインパクトを得られるのが地底だけだと思うからですね。
Google Earthを使えば世界中のいろんな場所を見られて、スマホがあれば地球の裏側の人と交信できて、人類が宇宙へも行けるこの時代。でも、自分たちが暮らす地球の中のことは誰も見たことがない。そんな、誰も知らない地底へ行くことへのワクワクが大きいです。

まあでも、言葉でいろいろ言うことはできるんだけど、突き詰めて理由を端的に表すとすれば、なにより洞窟が好きだからっていうことかな。好きって気持ちに理由なんてないじゃないですか? だから、その気持ちが一番大きな原動力です。

――ずっしりと響く言葉ですね。そんな吉田さんが大好きな洞窟ですが、今後はどんな探検を予定しているのでしょうか?

潜水技術を使って、国内の洞窟のより奥深くへ辿ってみるつもりです。すでに知られている洞窟には途中で水たまりや泉になって、そこで「行き止まり」とされている洞窟も多い。でも潜水すればそこは「行き止まり」じゃなくなるんですよね。その奥にもっと大きな空間が広がっているかもしれません。

さっき言ったように、洞窟を探すこと自体、途方もない時間と労力がかかります。山と違って入口探しに何年もかかることもある洞窟、僕ももうある程度の年齢になってきたんで、残りの人生でなにがやれるかっていうと、まずは国内でまだ探検できていない水中を攻めるのが一番効率的だなと。

潜水道具もすっごいお金かかるんですけど、ある程度装備がそろってきたんで、あとはそれを使って国内の洞窟を伸ばせるように追求するっていうのが今後の活動です。もちろん海外の洞窟も、チャンスがあれば狙いたいですけどね!

――これからの活動もスタッフ一同、応援しています! どうもありがとうございました。


2025年3月、finetrackの神戸オフィスにて

【教えてくれた人】

吉田勝次(よしだ・かつじ)さん

未踏の洞窟を探検する洞窟探検家であり洞窟写真家。洞窟に関係するあらゆる分野で活躍中。
(社)日本ケイビング連盟 代表理事
(株)地球探検社 代表取締役
洞窟探検プロガイドチーム ちゃお!主宰
2024年植村直己冒険賞受賞

関連記事:「未知・未踏の世界を求めて」洞窟探検家 吉田勝次

(構成/文:fun to track編集部 洞窟写真提供:吉田勝次)

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