ドライレイヤリング ドライを重ねる 5レイヤリング

7/72022

「山登りもドライレイヤー®も、すべてのきっかけは人との縁」vol.17 登山家・山岳コーディネーター 貫田宗男さん

fun to trackトップに戻る

今回話を聞いた貫田さんは、テレビなどでも活躍する著名な登山家。ただ、職業は漠然と登山ガイドのようですが、山に登り始めたきっかけなど、実は知らないことばかり。肝心なドライレイヤー®を着る理由を聞く前に、紆余曲折を経ていまに至る、貫田さんの素顔を知ることとなりました。

目次

  1. テレビでお馴染みの有名登山家。貫田宗男さんの知られざる素顔
  2. 実は登山ガイドじゃない。遠征登山の経験を生かしたコンサル業
  3. 実は高い志はなかった。流されて行き着いた山の世界
  4. 愛用するドライレイヤー®は、リスク対策に役立つ道具

 

テレビでお馴染みの有名登山家。貫田宗男さんの知られざる素顔

 

今回話を聞いた登山家・貫田宗男さんについて、名前だけでピンと来る方はどれくらいいいるでしょう? おそらく、日本テレビの人気バラエティ番組『世界の果てまでイッテQ!』の“天国じじい”と紹介したほうが、メガネをかけた面長の男性を思い浮かべる人が増えるかなと思います。

“天国じじい”こと貫田宗男さんは、ご存じの通り「世界の果てまでイッテQ!」で、女芸人イモトアヤコさんの登山企画を支えてきた、著名な登山家のひとりです。過去に、当シリーズにも登場して頂いた、山岳カメラマンでもある中島健郎さんたちと共に、世界各地の高峰に挑む数々の企画をサポートしてきました。


今回話しを聞いた貫田宗男さん。顔でテレビの活躍を思い出す方も多いはず

では、名前と顔が一致したところで、ひとつクイズ。皆さんは貫田さんの職業を知っていますか? “登山ガイド”と答える方が多いと察しますが(筆者もその内のひとりでした)、実はそうではないのだとか。とすると、貫田さんとは一体は何者? そんな疑問から取材が始まり、意外な登山との出会いなど、お茶の間のテレビには映らない、貫田さんの素顔を知ることとなりました。

 

実は登山ガイドじゃない。遠征登山の経験を生かしたコンサル業

−貫田さんは、てっきりガイド業を生業にしている方だと思っていました。いわゆる山を案内するガイドではないということですが、本来の仕事は何をしているのでしょう?

いまは顧問ですが、1995年に“ウェック・トレック”という会社を立ち上げて、海外遠征のノウハウを生かした仕事をしてきました。コロナ禍になる前は、海外の山に登るコンサルタントの仕事が多かったですね。なので、仕事の肩書は山岳コンサルタント。日本初の山岳コンサルタントになります。

−初めて聞く職業です。具体的に何をするのでしょう?

例えば、海外の取材クルーが日本の山を登る場合、成田空港を下ります、上高地に行きます、上高地から歩き出します、などと一連の行動を区切っていって、その時々で生じるであろうリスクをすべて書き出し、リスクヘッジするとどれくらいの人員や費用がかかるか計算して、それをもとに企業や団体と契約して、実際の登山をサポートします。やっていることは登山のリスクアセスメントを含めたトータルコーディネートです。


2020年にNHKで放送された「ジャヌー 神のすむ大岸壁」。この番組の取材コーディネートをウェック・トレックが担当。右端に貫田さん。その左上に山岳カメラマンの中島健郎さんが写っている

いや、実はやりたくてやったんじゃなくて…。もともと登山のツアーを企画する会社に勤めていたんだけど、働きながらも海外の山に遠征に行くことが多くて、これ以上迷惑をかけられないと思って、何の展望もなく辞めてしまったんです。それが1994年。僕自身2回目のエベレスト遠征のときでした。

それから1年して、ツアー会社で部下だった古野淳(※)くんも僕の後を追うように退職して、それで失業者同士「これからどうする?」って相談しながら、とりあえず立ち上げたのが、現在のウェック・トレックなんです。

※古野淳(ふるの・きよし):1995年にエベレストの北東稜を世界で初めて登った登山家。このエベレストの遠征から帰国後に貫田さんと会社を創業。現株式会社ウェック・トレック代表取締役

−結構、行きあたりばったりな起業だったのですね…。

でも、会社を立ち上げたのはいいけど、「何する?」みたいな感じで。僕らは遠征登山のノウハウしかないんですよ。それで「遠征のノウハウを生かせる仕事って何?」ってなったときに思い付いたのが、遠征隊のコンサルタントだったというわけです。

 

実は高い志はなかった。流されて行き着いた山の世界

−仕事は紆余曲折があったようですが、しっかり山の経験を生かしている点は、さすが登山家だなと思います。

いままで何度も海外の山を登ってきましたが、本来、僕は全然ね、そういう先鋭的な登山はしたくなかったんです…。子供の頃は体が弱くて、病気がちで、勉強もできない。体が大きいのに何もできなくて、それがすっごいコンプレックスでした。

それで、何かしないといけないと思って、中学校で卓球部に入るんですけど、持ち前の運動音痴で活動についていけず、1ヶ月で退部。それから高校に入って、再びやっぱり何かしなくちゃいけないと思って、「周りと同じレベルで高校から始められる運動部は何?」という考えで入ったのが山岳部でした。

ただ、その部活動で春に丹沢の大倉尾根を登るんですけど、当時の大学山岳部を真似てザックに石を詰めたら、肩が極度に締め付けられて麻痺してしちゃって。それから一ヶ月くらい手が動かなくなってしまい…。周りからは山登りを辞めろ辞めろと言われましたね。

でも、中学時代から交流のあった先生が僕のことを気にかけてくれて、手が治ってから2回ほど山に連れていってくれたんです。いまとなっては、それが自信に繋がりました。

−山に登るようになるまでも二転三転あったのですね。登山にのめり込んだのはそれからですか?

ただ、体力がなくてやっぱり重たい荷物は背負えないから、今度は「重たい荷物を背負わなくても山に登れないか」って考えたんです。それで始めたのが岩登りです。

授業中に本を立ててブーリン結びをやったり、校舎の壁をロープで降りたり、つづら岩や日和田山でも、当時は指導してくれる人がいなかったから、本を読んで見様見真似で岩登りの練習をしていました。

それから冬山も丹沢主脈から始まり、南アルプスの塩見岳も登って、そうこうしているうちに高校を卒業して、僕は一浪するんです。それが1970年。そのときですよね、一年下の後輩から、JECC(※)の入会案内の集会があるから行かない?と誘われて、向かったのが新宿にあった会議室。うなぎの寝床のような細長い部屋で、早く到着したものだから、いちばん奥に座っちゃった。そしたら話が始まって、当時の会長が「以上で説明終わり。本当に入りたい人だけ残ってください」って言うんだけど、いちばん奥に座ってるから出られるわけないじゃない。それで先鋭的な登山をめざす山岳会に入ることになっちゃったんです。海外の山に登りにいくようになったのはそれからですね。

※JECC(ジャパン・エキスパート・クライマーズ・クラブ):1964年創立の山岳会。当時、1967年にマッターホルン北壁登攀、69年にアイガー北壁開拓を行った、加藤滝男や今井通子など、第一線で活躍する登山家が所属していた

−そんな経緯があったんですね…。

それから、山岳会の活動にひとり真面目に参加していたらチーフリーダーに任命されて、旅行会社から安い切符が手に入ったからヨーロッパに行けって半ば命令されて。僕は気持ちのいいピークハントがしたかったんだけど、山岳会の方針で難しいマッターホルンの北壁ルートを登ることになって。それから海外登山を幾度も経験して、いまに至ります。


JECCのメンバーと共に、1971年に撮影された谷川岳一ノ倉沢での一枚。前列の右に座っている男性が若かりしころの貫田さんだ


1991年。当時としては珍しく、スポンサーを付けずにパートナーと二人だけでチョモランマ(エベレスト)に挑んだ。いきさつから結果まで、詳細については貫田さんの著書『二人のチョモランマ』を一読して頂きたい

高い志があって山に登るようになったとばかり思っていたので、話を聞いて意外でした。

全然。すべて流れに流されて。みんな親切だから「貫田、これやれよ」って課題を放り投げてくれたんです。いい人ばかりでした。

−それでも登山を続けてきた理由というか、原動力、登山の魅力はどこにあると感じていますか?

チャレンジですね。最初は「より高く」「より困難」な山登りをめざしました。しばらく山に登りながら、誰もやったことないことにチャレンジする喜びを覚えたんです。世界ではじめての7,000m峰三山縦走、冬の世界最高峰チョモランマ(エベレストのチベット名)北壁とか。非力な自分の実力を知ったあとも、そのときの身の丈にあったチャレンジが続きました。スポンサー無し隊員二人のチョモランマ、世界最高齢エベレスト還暦登山…。ヒトには到底太刀打ちできそうもない圧倒的な大自然にチャレンジする戦術を考えるのが楽しい。そしてそれが達成できたときの充足感も格別なのです。

 

愛用するドライレイヤー®は、リスク対策に役立つ道具

−ドライレイヤー®の話も聞きかせてください。最初、どんな経緯で着るようになったのでしょう?

アウトドア業界で会社を起こしたJECCの先輩から勧められたのがきっかけですね。それから、もう何年着ているんだっけっていうくらい、ボロボロになるまで使っています。

−どんなところにドライレイヤー®の良さを感じていますか?

やっぱり、いちばん下にドライレイヤー®を着ると、汚れた衣服が肌に触れるベタベタ感がない。それがすごい好きですね。ネパールヒマラヤとかは乾季に行くと日本より乾燥しているんですけど、一日休養して翌日に行動するとかあるじゃないですか。そういうとき乾きが早いですよね。ちょっと洗ってすぐ干して、また使えるみたいな。それもいいなと感じています。


ドライレイヤー®の良さを語りつつ、身につけているニュウモラップ®も貫田さんのお気に入り

−やはり、海外の山でメリットを感じることのほうが多いですか?

最近はコロナ禍もあって国内の山に登ることが多くて、国内で着たときのほうが。もっとありがたみを感じますね。日本のほうがやっぱり湿度が高いですから。ドライレイヤー®を着ていると上着が直接肌に触れないので、ベタつきや張り付きにくさを感じています。

−ちなみに、最初にドライレイヤー®を使った山行を覚えていますか?

初めは国内の山のロケだったと思います。たしか、安達太良山だったかな。土砂降りの雨で、それなのに僕が道を間違えちゃって、さらに雨が強く降ってきちゃって…。とにかく最悪だったんです。

でも、そのときにドライレイヤー®を着ていたからでしょうか、体の冷えにくさを実感しました。それからですね、山に行くときは必ず着るようになって、周りにも勧めるようになりました。

とくに僕と同年代の方には受けがいいです。加齢と共に体力などに余裕がなくなってくると、どうしても道具に頼らざるを得ない場合があるじゃないですか。やっぱり、雨や汗などで衣類が濡れて、それで体が冷やされて起こる低体温症は怖いですからね。

−ドライレイヤー®を着ることも、安全に山を登るためのリスクヘッジのひとつになりそうですね。本日は貴重なお話を聞かせて頂きありがとうございました!

 

【教えてくれた人】

貫田宗男(ぬきた・むねお)さん

1951年、山口県生まれ。1970年JECC入会。1972年にヨーロッパアプルスで初めての海外登山を経験。1979年にダウラギリV峰(7,618m/ネパール)登頂、1991年春、1994年秋にエベレスト登頂。著書に『二人のチョモランマ』(山と溪谷社)

構成/文 吉澤英晃


ドライレイヤー®ベーシックの特長


肌に直接着て、その上に吸汗速乾ウエアを重ねることで、肌をドライにキープ。汗冷え・濡れ冷えのリスクを軽減し、登山やアウトドアでの安全・快適性を高めます。

肌をドライにする撥水性


優れた撥水性によって、かいた汗を瞬時に肌から離し、肌をドライにキープ。汗冷えを抑えて、体温を守ります。

 

詳しく見る