
じゅうじゅうと音を立て炭火の上で焼かれる厚切りの豚バラ肉。こんがり焼き目がついた肉を金属の箸で持ち上げ、青々としたサンチュに包んで一口で食べる。友人に勧められ観た韓国ドラマのワンシーン、画面のむこうのおいしそうなサムギョプサルに釘付けになった。
決めた!韓国で本場のサムギョプサルを食べよう、ついでに山にも登ろうか。
基本的に私の行動原理はうまい飯と酒。崇高なアルピニズム精神は持ち合わせていないけれど、食への執着心…もとい、探求心はまさにピークを追い求める孤高の登山家と相違ない。
思い立ったが吉日、出発2週間前、ゲリラ的に格安航空券を予約し、〈①サムギョプサルを食べること②韓国本土最高峰を踏むこと〉のみを目的にひとり隣国へ旅立った。
■アクティビティ日:2025年9月19日~9月23日
今回目指すのは韓国南部の智異山(チリサン)。100を超える多くの峰からなる山域で、最高点は韓国本土最高峰である天王峰(チョナンボン)の1915m。
※島も含めると韓国最高峰は済州島の漢拏山(1947m)である。

DAY1 関西空港―釜山
韓国のLCCチェジュ航空を利用し、関西空港から1時間ほどで釜山 金海国際空港に到着。離陸後ちょっとウトウトしているうちに気づいたら着陸。地元の北海道に帰るよりよっぽど近い(そして安い)。

高まる~~~
たどり着いた釜山の街は当然だがどこもかしこもハングルが溢れていた。意味はおろか読みも全く見当のつかないハングルは私にとってはただの暗号。迷宮に迷い込んだ気分である。
この日は釜山駅近くにある相部屋の安宿に泊まることに。空港から釜山駅までの道に迷いまくり宿につく頃には21時を回ってしまった。目的のサムギョプサルはいったん見送り、地球の歩き方に書いてあった「テジクッパ」という釜山名物の豚骨スープの店に夕食を求め入ってみることに。

なんやこれうまいな!!!
豚骨とにんにくの烈しい香気が、稲妻のごとく脳髄を貫く。うまい!!
すっかりテンションが上がった私はなんとかこの感動を伝えたいと、地球の歩き方巻末に書いてある「便利なフレーズ」集をめくり、カタコトの韓国語で「アジュ マシッソヨ!(めちゃうまかったで!)」と厨房からでてきたオモニに伝えてみた。それを聞いて満面の笑みのオモニ。うん、韓国大好き!!

今回のパッキングアイテム。スマホでなんでも調べられる時代だが地球の歩き方だけは常に持っていくと決めている。
DAY2 釜山―順天(スンチョン)―姓三峠(ソンサムジェ)登山口
基本的に私の旅はいつも計画性に乏しい。
国内でも海外でも、ほとんど何も計画を立てずに現地に突っ込み、その場で必要な情報を収集しながら行き先を決めるスタイルだ。
そんなわけで朝目覚めてからようやく、どうやって登山口に向かうか考え始める。
登山口のある姓三峠(ソンサムジェ)まではだいたい4-5時間くらいらしい。昼過ぎくらいに登山口について日が沈むまで歩こうなんて悠長なことを考えながら釜山を出発。バスを数本乗り継ぐ。

韓国はバス路線が充実しているうえ料金も安いので便利。運転は結構はげしいぞ。
しかし最後に乗り継ぐ予定のバスは午前中の2本しかないことを出発してから知る。乗り継ぎバスのチケットを買うのに手こずっていたら良い時間の便を逃してしまい、登山口ゲートの開放時間までに到着できないことが発覚。計画性がないとこういうことはしょっちゅうである。

うまくいかない乗り継ぎにイライラし、腹いせで入ったお店のビビンバがとてもおいしかったのですっかりごきげん
急遽計画を変更し(そもそも計画などないのだが)、この日は麓の街で少し観光しながら1日かけて登山口まで行くことに。

ちょっと何書いてるかわからない
韓国の高速バスはシートがひろびろでとても快適!
釜山からバスに揺られること3時間ほど、順天(スンチョン)という街に到着。世界遺産だという順天湾をちょっとだけ観光。


高熱の時の夢に出てきそうなフォルム
その後もバスとタクシーを乗り継ぎ、午前0時すぎ、ようやく登山口のある姓三峠(ソンサムジェ)に到着。
DAY3 智異山縦走1日目

タクシーの運転手のおっちゃんがたくさん話しかけてくれたが(韓国語)ひとつもわからずずっと首をかしげながらニコニコしてやりすごす
智異山内はルートの各ポイントでゲートが設けられており、登山者の安全や植生保護のため通過できる時間が制限されている。ここ登山口のゲート解放時間は午前3時。まだ時間がある。近くの24時間開いている休憩所のベンチで横になって少し仮眠をとらせてもらうことに。

ここをキャンプ地とする!(藤村Dボイス)
ベンチで30分くらいウトウトしただろうか。どうやらソウルから夜行バスが出ているらしく、ゲートの解放時間をめがけて一気にハイカーたちが押し寄せてきた。とても寝ていられない。寝不足だが仕方なく準備をすることに。

午前2時にもかかわらずみんな超ハイテンション
外国人は珍しいのか、いろんな人が私に話しかけてくれるのだが、なにせ韓国語は「アニョハセヨ(こんにちは)」「カムサハムニダ(ありがとう)」「マシッソヨ(おいしい)」しか知らない私。全く会話ができず申し訳ない気持ちでいっぱいになった。困っていたらイケメンのお兄さんが横からスッとおまんじゅうをくれた。神かな?

しかもこのまんじゅうやたらうまい、あと100個欲しいぞ。

今回歩くルート。総距離44kmほど。
午前3時半、周りのハイカーに混ざって出発。満点の星空のもとヘッテンの明かりを頼りに歩く。

まだまっくら

ちょっと何言ってるかわからない
歩き始めて1時間ほど、智異山三大峰のひとつである最初のピーク 老姑壇(ノゴダン)へ向かうゲートに到着。ゲートの開放が5時からとのことで、しばし待機。

ノゴダンの山頂周辺は植生保護のため入山人数の制限をしており、ここから先に進むには事前に国立公園のサイトで予約をしておく必要がある。私も例に漏れず予約しようとしたのだが、サイトの仕様上外国人は予約できないようになっており、予約することができなかった。まあいい、行ってみればなんとかなるやろ!と予約なしの丸腰で突入。管理人に外国人なので予約できなかった旨を伝える。

日本人であることを告げるとニコニコしながら快く対応してくれた。カムサハムニダ~
韓国では英語は通じないことが多く、基本的には韓国語でのコミュニケーションが必要。こんなときスマホのGoogle翻訳に韓国語をダウンロードしておけば、電波のない山間部でも使えて安心だ。事情を説明すると快く入山を許可してくれ、その後のルートについても親切に案内してくれた。
木道で整備された道を20分程度歩き、午前5時半頃に智異山三大主峰のひとつであるノゴダンの山頂に到着。

暗闇の中だとなんでもちょっとおっかない
日の出時刻は6時過ぎ。せっかくなので最高のロケーションでご来光を眺めたく、しばし待機することに。

おはようKOREA
漆黒の空が東の地平線からほのかに群青に染まり始める。寒さに震えながらじっと見つめていると濃い藍色が赤みを帯びた紫に、そして橙へと刻一刻と移り変わり、やがて空と山の隙間から溢れ出すように光がこぼれる。眠っていた植物たちが朝露を浴びてキラキラと輝かせ目を覚ます。1日の中でこの時間が一番好きだ。
下界にいても山にいても朝は気持ちがいいが、山の中で迎えるこの時間は太陽を待ち望んでいた生命の息遣いが聞こえてくるようで、下界のそれよりずっと美しい。

遥か雲海の上を音もなく流れ去る気流は…(城達也ボイス)
登山口からここまでは道が非常に整備されており、軽装備でも十分来ることができる。ここで朝日を眺めるためだけに智異山にやってくる人が大半のようで、日が昇るころには山頂はたくさんの人であふれていた。

虹色の空を眺めながら
ノゴダンのピークを後にし、ゲート前に戻ってくる頃にはすっかり明るくなっていた。ほとんどの人が元来た道を戻り登山口へ帰っていく中、人々に背を向けひとり智異山縦走路へと進む。ここからは本格的な登山道がはじまる。

朝日をみて満足したせいか、日が昇って緊張が解れたせいか、1時間ほど歩いたところで強烈な睡魔が襲ってきた。その強さといったら山王戦のゴール下で桜木花道と赤木剛憲を以てしてもほとんど抑えることのできなかった河田雅史を彷彿とさせるほどである。どう抗おうにも私の前に立ちはだかり、まっすぐ歩くことすらままならない。それもそのはず、昨夜はほぼ徹夜だ。
思えば学生の頃は、試験前夜に徹夜で勉強して「昨日寝てないから~~」なんてイキったことを言いながらケロッとしていたのに、時の流れは悲しいものである。寝不足で満身創痍のアラサー女は歩きながら何度も意識を失いかけ、足を滑らせまくる。不運(ハードラック)と踊(ダンス)っちまいそうだ。

緑がまぶしい登山道。しかしとにかく眠いのだ。
まだ宿泊予定の小屋まで20㎞くらいある。心の中に飼っている仙道彰が「まだあわてるような時間じゃない」と言う。仕方ないので登山道脇の広いスペースにマットを敷き、頭から防寒着をかぶって仮眠をとった。
寒さで目を覚ますと15分ほどしか経っていなかったが頭はすっきりしていた。うん、まだまだ若いねアタシ!
2時間ほど歩き、智異山三大主峰の2つ目である般若峰(パニャボン)への登りが始まる。山頂直下にザックをデポし、急登を黙々と進むと景色が開け、気持ちの良いピークが現れた。

般若峰(1,732m)

数時間前、寒さに震えながら朝日を眺めていたことを忘れるほど気温は一気に上昇。ピーカン晴れのもと汗をぬぐいながら再び長い縦走路を歩く。

その後もアップダウンを繰り返し、何度か小さなピークを踏んでいく。

三道峰(サムドボン)と呼ばれるここは韓国の行政区分である全北・全羅南道・慶尚南道のちょうど境界にあたるらしい。日本でいう県境のようなもの。
韓国には様々な山があるが、今回歩いている智異山縦走ルートは距離の長さや標高差・アクセスの悪さなどから、韓国最難関ルートのひとつと言われているらしい。人気のある山域だが、全山縦走する人はそう多くないようで、主要なピーク以外ではあまり人に出会うことはなかった。
その後も時々思い出したようにやってくる睡魔と戦いつつ、15時過ぎに宿泊予定の山小屋である碧宵嶺(ビョクソリョン)待避所に到着。

智異山にはこんなかんじの立派な「待避所」とよばれる山小屋が複数ある。
国立公園内では原則野営は禁止とのことで、山で宿泊したい場合にはこういった山小屋に泊まるのが基本のようだ。念のためテントを持ってきたのだが、幕営しているひとは誰もおらず、ただの荷物となってしまった。
ノゴダンでのゲートと同様、山小屋もネットで事前予約が必要。こちらは外国人向けの予約サイトがあり、問題なく予約できた。

小屋の中。床が区画ごとに分けられており雑魚寝スタイル。
管理人の方がカタコトの英語で一生懸命設備について説明してくれた。多少の非常食は売っているが、基本は自炊の素泊まり。小屋の中は一人ずつ横になれるくらいのスペースが区画ごとに分けられており布団などはないシンプルなつくり。宿泊費は一泊たったの12,000₩ (日本円で1,200円ほど)!しかも驚いたのがひとりひとりの寝床にオンドル(韓国の伝統的な床暖房)があるというのだ!

枕元にあるスイッチで温度を10段階に調整できる
まさか山の中でオンドル体験できるとは驚きだ。嬉しくて早速スイッチを押してみるとおしりがじんわり温かくなってきた。疲れて冷えていた体が一気に温まってくる。
とにかく眠くて仕方ないのでさっさと夕飯を済ませるべく外のベンチで晩ごはん。
皆それぞれグループごとに座り、フライパンで肉を焼いている。漂う香ばしい香り…そう、サムギョプサルである。なんてこった!ああ、羨ましい!
うまそうに肉を頬張るハイカーたちを横目に、ひとり湯を沸かして寂しくカップ麺をすする私。すると、日本人の私が珍しかったのか、あるいは私があまりにも卑しい顔をしていたからか、次から次へと周りの人たちが「これも食え」とサムギョプサルを持ってきてくれた…!


人生初のサムギョプサルは山の中で
旅の目的のひとつであったサムギョプサル。まさかそれが山の中で叶うことになろうとは想像もしていなかった。パリパリのサンチュにつつまれた豚肉の脂の甘みが口いっぱいに広がり思わず「マシッソヨ~」とうなる。疲れた細胞に染み渡るようだ。うん、韓国大好き!!
カタコトの英語を交えながらみんな一生懸命私に話しかけてくれる。肉をくれた人のうち一人は日本で槍ヶ岳に登ったことがあると楽しそうに話してくれた。
言葉の通じぬ異国の地でひとり、サムギョプサルを通じて人々の優しさに触れ、心はぽかぽかに。小屋に戻るとオンドルで背中もぽかぽかしてくる。うん、韓国大好き!最高の気分で眠りについた。
DAY4 智異山縦走2日目
午前5時、オンドルの温かさに後ろ髪をひかれつつ、まだ日の昇らぬうちにヘッテンをつけて準備。トイレに起きてきた昨夜の槍ヶ岳おじさんが私に気づいて話しかけてきた。握手をして別れを告げひとり出発。

智異山にはツキノワグマが生息しているらしい。
縦走路を歩く人は誰もおらず、全く人の気配がない。クマを恐れてときどき奇声を発しながら暗闇の中を歩いていく。
やがて空が少しずつ白み始め、夜明けだ。

途中で湧き水を回収。
日が昇るととたんに足取りが軽くなるのは、生物としての本能だろうか。山は日ごろ忘れている生存本能を呼び覚ますようでプリミティブな気持ちになれるのが良い。

日頃の行いが功を奏し本日も晴天、心安らかなり
3時間ほど歩いたところで、数ある智異山系の山小屋の中でも一番大きい細石(セソク)待避所に到着。
地図を眺めていたら日本語が少しわかるという女性に話しかけられた。「この後の道は険しいですが、景色は綺麗ですよ」と言われ期待に胸が躍る。
その後もアップダウンを繰り返しながら歩みを進めていくと、ついに智異山系3大峰の最後ひとつであり、韓国本土最高峰である天王峰(チョナンボン)が姿を現した。

見えた~もう少しだ
最後の小屋であるチャントモク待避所を超えると、チョナンボンへの最後の急登がはじまる。

2㎞ほどの最後の登り。今更思い出したようにザックの重みが肩と腰にズンズン響いてくる。最後の力を振り絞り、出発して7時間、ついにチョナンボン山頂に到着!

近くにいたおねえさんに写真をお願いすると20枚くらい撮ってくれた。おかげでiPhoneのカメラロールはパラパラ漫画のような自分の写真ばかりになった。
初めての韓国でいきなり本土最高峰を制覇。
ここにたどり着くまでいろいろあったが、異国の地で一人奮闘した自分を、智異山は静かに祝福してくれているような気分になった。
帰りのバスの時間が不安なので、早々に山頂を後にし、一気に急斜面を駆け下る。

頭の中は下山後の韓国グルメのことでいっぱいなので走って下る
コースタイムの半分くらいの時間で一気に麓近くの寺院まで下山。

下山予定の中山里(チュサンリ)から市街地へ出るバスの時間がわからず、近くにたまたま居合わせた男性3人組に声をかけてみた。すると今日はバスがないとのこと。仕方ない、下山したらタクシーを呼ぶか…と肩を落としていたところ、よかったら車で送っていこうか?とのこと。まじすか!!カムサハムニダーーーー!!!

一緒に登山口までの最後の下りを歩く
3人のうち一人は学生時代日本語を少し勉強していたとのことで、簡単な会話程度であれば日本語でコミュニケーションをとることができた。話してみると彼らは無等(ブドゥン)山という別の山でレンジャー(自然保護官)をしており、今日は仲良しの同僚どうしで智異山に遊びに来たとのこと。私がノゴダンから全山縦走してきたことを告げると、韓国人でもめったに来ないようなところによく一人で来て歩いたなと大変驚かれた。

清流で足を冷やす男たち。韓国ではこれは当たり前なのか?
話しながら歩いているとあっという間に中山里に到着。
彼らとは年齢が近いこともわかってすっかり仲良くなり、下山後は一緒に晩御飯を食べることに。一人旅だとこういう出会いがあって嬉しい。車で2時間ほど移動し、彼らの住む光州(クァンジュ)に到着。登山の後はいつも来るという彼らの行きつけの店へ。どんな料理が出てくるのかワクワクしていたら…

サムギョプサル再び
そう、サムギョプサルである。
なんということだろう。昨日といい今日といい、求めずともサムギョプサルからこちらへ向かってくるではないか。
昨夜山でいただいたサムギョプサルももちろんおいしかったが、お店で食べるのはやはり格別。いろいろな種類のキムチやタレが所狭しとテーブルに並ぶ。チャミスルやマッコリなどといったお酒を片手に、炭火で焼いた豚肉のおいしい煙に包まれながら、みんなでワイワイといただく。豚バラ肉の脂はサンチュに包めば0カロリーになるという暴力的持論のもと、夢中で食べる。うん、韓国大好き!!

ケランチムという卵料理。ふわふわでマシッソヨ
下山後の枯渇した体にぐんぐん栄養がいきわたる感じがする。私がやたらうまそうに食べるからと、あれも食え、これも食えと次々に見たことのない韓国料理が運ばれてくる。マッコリが注がれるたびに乾杯して一気に飲み干す、という韓国式飲み会マナーも教えてもらい、気づいたら4人ともすっかりベロベロになっていた。
下山後2時間も離れた街まで送ってもらったうえ、晩御飯までごちそうになり、さらには近くの宿、空港までのバスも手配していただいて、何から何まで本当にお世話になってしまった。私は見ず知らずの外国人にこんなに優しくできるだろうか。感謝してもしきれない。ひたすらカムサハムニダを連呼し、次は彼らのいる無等山を必ず登りに行くと再会を固く誓って、3人と別れた。

かわいいマスコットをいただいた。韓国の国立公園にはそれぞれマスコットキャラクターがいるらしく、右のクマは今回登った智異山、左のカワウソは無等山のキャラクターとのこと。こんなん…集めたくなるやんか…
そんなこんなでしっかり目的の山と肉を制覇。翌日、大量のマッコリが全く抜けずひどい二日酔いのまま大邱空港から日本に帰国したのであった。

このバナナジュースが二日酔いによく効きました
一人旅をしていると、現地の人に助けられることが何度もある。
言葉が通じなくても、互いにどうにかして心を通わせようとする。言語を超えたコミュニケーションは、人の優しさがダイレクトに伝わってくるように感じられるのだ。そんな不自由なやり取りが、なんとも楽しく愛おしい。これこそ一人旅の醍醐味だろう。
次はどこでどんな出会いがあるだろうか。これからもそんな素敵な出会い(と旨い飯)を求めて山旅を続けていきたい。

ドライレイヤーベーシックショーツ
旅に出るとき、パンツは何枚持っていきますか?私は国内外問わず何泊だろうとこれ2枚で事足ります。アウトドアでの汗冷え対策はもちろんのこと、高い撥水性により生地が水を保持しにくいため乾きが早く、何枚も洗い替えを持つ必要がありません。旅先で洗濯機がなくてもジップロックに洗剤と一緒に入れて数回すすぎ、軽く絞って干しておくだけであっという間に乾いてしまいます。抗菌防臭加工で臭いにくいのも◎。山でも旅でも必携アイテムです。

執筆者:マテリアル開発課 片岡 美菜
入社年:2022年
たとえ酸素の薄い3000mの山だろうと、-25℃の厳しい冬山だろうと、言葉の通じぬ異国の山であろうと、私は食べることを諦めない。食べること(そして吞むこと)は生きることそのもの。そんな執拗なまでの食い意地と呑兵衛精神を携え、今日もあちこちの山を彷徨い歩く。